2010 新春鼎談

谷村英司 / 中白順子 / 松嶌 徹


谷村:あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い致します。

中白:あけましておめでとうございます!去年も松嶌会長や英司先生はもちろんのこと、いろいろな方々にお世話になりました。この場をお借りして御礼申し上げます。そして今年も変わらずよろしくお願い申し上げます。

松嶌:おめでとうございます。こちらこそ、今年も変わらずご指導よろしくお願いします。

谷村:さて、恒例になったこの新春対談ですが、去年の主な出来事から入りましょうか。日本アレクサンダー・テクニーク研究会としてはどんなことがあったかなぁ・・・。

中白:そうですね、春にアレクサンダー・テクニーク(AT)教師育成の「トレーニングコース」第一期生の卒業式がありました。

谷村:そうそう、そうでしたね。あれはまだ去年でしたね。もう遠い昔のように感じていました。

松嶌:サットサンガに続いた卒業式で、ATに取り組まれてきた歩みが、ひとり一人違っていながら見事なハーモニーを奏でるような、これからの研究会の発展がとても楽しみな思いがしました。

中白:そしてその後に第二期のトレーニングコースが始まりました。

松嶌:学んでいる人たちがいい顔をされているのを見れば、次は自分も、と思う人が続くんですよね。

谷村:東京4名、奈良が5名、福岡が4名の合計13名の生徒でスタートしました。

中白:それから恒例になってきたリカさんの春と秋の来日、5月にはアメリカに本部のある組織、ATIの重鎮トミー・トンプソンさんを招いてのワークショップもありました。

松嶌:リカ先生の熱意にはほんとうに毎回驚かされ、刺激を受けますね。

谷村:リカによるワークショップ 恐れ入りますね。だから最近ではわれわれに対する彼女の熱意が皆に伝わって、もっと上達したいという一人一人の情熱のエネルギーが湧き出してきているように感じます。卒業して私はお免状をもらったからもう学ばなくてもいい、なんて人は一人もいません。それどころか理解が深まれば深まるほど興味と情熱が湧いてくるんでしょうね。

それで思い出すのが、彼女が敬愛する師パトリック・マクドナルドの著書“AS I SEE IT”にこんなことが書かれてありました。

“1955年の9月に書き留めたもので、最近ある人たちによってアレクサンダー・テクニークを大衆化しようと努力していることを、私は残念ながら報告すべきです。数回のレッスンが必要なだけで、また、教師の助けがなくても本から十分に学ぶことができると提案されているという噂です。私の経験では、生徒と教師と両側から、この考え方に反対です。実際、私の意見としては、このように言った人たちは無知か不誠実、または両方であると言うことができます。アレクサンダー自身が発見してきたことや彼が誰の助けもなしにテクニークを完璧にしてきた事実は、私はかつて同じようにできた人に会ったことがなく、彼らの無能とは何の関係もありません。一般的に言って、教師の助けがあったとしても、価値あるものを得るにはたくさんの思考と困難に向き合うことが必要です。”

要するに、価値のあるものほど時間と努力が必要だと思うのです。そして私やリカさんのワークについてきてくれた人はその時間と努力によってATの本当の価値を理解し始めていると思いました。

中白:そうですね。私も努力すればするほど、興味や情熱が出てくることを実感しています。でも、その状態は決して楽で、楽しいことばかりではないので、諦めてしまう場合もあるように思います。私はもう年だから、私には難しいから無理とか。いろいろ理由を作って諦めてしまうような?

松嶌:やめる理由なんて、続ける理由の百倍でも見つけられますからね。

中白:そして、いつの時代でも時間のかかるものは面倒と思われて嫌がられますね。とくに近頃は早く、楽に、簡単に得られものが望まれているように思います。またプロセスを省いて良いいところだけ使おうと…。結局使えないんですけどね。

谷村:「努力と興味や情熱は正比例する」by順子。いいですねえ。ですから反対に言うと、努力なく簡単に得られたものは興味や情熱が希薄なので、すぐに飽きて他のものに移ってゆく。本質的に深い意味があったものまでがどんどん薄っぺらなものになってゆく。まさに現代社会の傾向ですよね。そしてAT界もその例外ではない。おそらくP・マクドナルドさんが危惧しておられるのはそういうことなのでしょうね。大衆化しようとした人たちはATをとっつきやすいものにしようという善意からなのでしょうけど、気をつけないとそれはATの自滅になってしまいます。なぜなら、そうすることによって先ほど話したようにATの深い、真の価値を伝えること(教師側)、理解してもらうこと(生徒側)が困難になるからです。

おおっと、AT研究会の話ばかりになって失礼しました。国際ヨガ協会としてはどんな出来事がありましたか?

松嶌:いえいえ、どんなアプローチでもほんとうに深めようとする態度は同じだなぁと思いながらうかがっていました。

協会では、やっぱりはじめて東北で開催された盛岡でのフェスティバルが最大の出来事とはいえ、それまでに全国各地でおこなわれた勉強会や実践会ひとつ一つで、皆さんが全力を尽くしてくださった積み重ねだと思います。

谷村:本当にそうですね。そういった日頃の地道な活動がひとつの形となって現われるんでしょうね。そうそう、それで思い出すのは、10月のヨガフェスティバルには私たちは残念ながらスケジュールの都合で行けなかったわけですが、その代わりに今年の卒業生の北村さん、大谷さん、木脇さんが頑張ってやってくださいました。なかなか好評だったようですね。

松嶌:大人数にも関わらず集中して真剣にレッスンしてくださる姿勢を参加者が感じとられたのだと思います。もちろん技術的に英司先生や中白先生には及ばないまでも、世界に通用する最高水準のワークを重ねてこられた皆さんだから、参加者は満足されたと思います。これからは、いつも定員いっぱいでお断りしなくてはいけなかった個人レッスンも受けていただけるようになって、事務局も助かることと期待しています。

中白:私もサットサンガやフェスティバルでは、ワークはもちろん、生徒さんとの対話などたくさんの経験をさせて頂いたので、新しい先生方も多く経験されればワークの向上に繋がると思います。そして、ワークは一度だけではなく、続けて学んで頂ける人たちが増えると嬉しく思います。教師が増えたことによって多くの皆さんにこのワークの深さをお伝えすることが可能になってきました。そしてそのことが教師の皆さんのスキルアップになればいいと思っています。

松嶌:それがまた国際ヨガ協会の指導者のレベルアップにつながって、さらに体の使い方が磨かれていくことを確信しています。フェスティバルのあと、地元では続けてATを勉強したいという声があがっているそうなので、ぜひ実現していただきたいと思います。AT研究会として支部/学園への講師派遣の条件というか、態勢をぜひ整えてください。3月のサットサンガまででけっこうですので、よろしくお願いします。

谷村:そうですね。それはいいアイデアですね。最初の研究会は奈良、東京、大分に始まって、今は大分が福岡に移動しました。この3つの研究会でやってきましたが、他の地域に研究会ができてもいいわけですよね。私や順子さんは今のところこれで手一杯ですが、去年卒業された教師の方々に行ってもらうことはできると思います。これは先ほどの話の流れから単発のワークショップという意味ではなく、月に一回ぐらいのペースで長く続けられるような研究会としてできればいいですね。

中白:これは私も以前から思っていたことですが、英司先生や私は今のところトレーニングコースで手一杯で、他の支部でワークショップに招いていただいてもいつも単発で、継続的にワークをすることができませんでした。そのためにこのワークの深さや真の面白さを伝えることができないのをいつも残念に感じていました。

谷村:そうですね。それは私も感じていました。でも今は12名もの教師が誕生したわけですからそれが可能になってきたわけです。

松嶌:指導者育成合宿やヨガ療法士のカリキュラムにもATの原理を紹介する時間を加えさせていただいているものの、ほんとうにご紹介だけですから、通える範囲で継続的にレッスンを受けられるチャンスができれば嬉しいことです。

谷村:多くの生徒を集める必要はありません。5人から10人くらいのグループで定期的にこのワークを深く学んでみたいという志を持った人たちの集まりの研究会です。そのためには参加費もリーズナブルなものにしないといけませんね。

松嶌:理想的です。来年2011年は国際ヨガ協会の前身である理論研究団体がスタートして50周年になるんですが、少人数の熱心な方々が各地で定期的に勉強会を続けられたことが今の全国組織になった、まさにその時のような志をもった人の集まりになりそうで、楽しみです。

谷村:単にイベント的な感覚のワークショップや講習会ではそういった発展はなかったでしょうね。そこには損得抜きで地に足付けてじっくり学んでいきたいという心意気が必要な気がします。

中白:そうですね。そして、せっかくワークショップで興味を持って下さった方も、学ぶ場がないと忘れてしまうことになると思います。

谷村:習慣的なからだの使い方というのは根強いですから、せっかく習ったからだの協調作用がその習慣によって打ち消されてしまうんです。

松嶌:もう、一瞬のうちに戻りますね。がんばって片付けてもすぐ散らかる私の部屋と同じ。(苦笑)

中白:だから、最初は毎月と思うと忙しくなるなぁと思うかもしれないですが、A・Tトレーニングの皆さんからは、3〜4週に一度あるお休みはない方がいいと言う声をよく聞きます。(笑)

谷村:だから日本にATが根付くためには研究会というものが必要になってくるわけです。そしてその発展形としてトレーニングコースがあるというのが理想的なような気がします。

松嶌:それに研究会のメンバーは医療関係者からさまざまなセラピスト、あるいはピアニストやダンサーといったアーチストとか、幅広いものになりますよね。ヨガの指導者にとっても、すごくいい刺激をいただけるはずです。

谷村:そうですね。このATが持っている幅広さの理由はAT原理が人間のあらゆる活動の基本的なところで活用されるものだからだと思います。おそらく時代が変わろうと流行が変わっていこうとこの原理は普遍的なものだと私は感じています。

中白:普遍性という意味は全てのものに通じて当てはまる性質ということでしたね?

松嶌:ええ。ですからどんなことでも普遍性をもつというならシンプルなはず。それが時代とともに人があれこれくっつけて、どんどん複雑なものにしてしまう。でも時の流れは厳しいもので、無駄や無理はそぎ落とされて、またシンプルなものに落ち着きます。世界中のAT界はいまその効果が注目されていると同時に多様化して複雑になりつつある段階ではないでしょうか。コングレスでも日本でも、これがAT?っていうものがあるように思うんですが。

中白:リカさんによるワークショップそうなんですよね。私も過去シドニー、フライブルグ、オックスフォード、ルガノとコングレスに参加してきましたけれど、ATも様々な面からアプローチしている先生方が出てきているのを見てきました。いろいろあって良いとは思うのですが、あまりにそういう方面ばかり進んでしまうと、会長がおっしゃったATの持つ普遍性やシンプルさが見失われてしまうような危惧を感じます。ここらで原点に立ち返るべきじゃないかと感じています。

谷村:ATワークの中にチェアワークといって椅子を使って立ったり座ったりの動作の中でAT原理を理解しようとするものがあるのですが、この動きを繰り返し何年もかけてその内側にあるものを探求しようとしている教師もあれば、他方で同じ動きばかりやって飽きちゃって面白くないので他のアプローチをやろうよって教師もいますよね。順子さんが危惧を感じるのは後者の方の人たちですよね。私もこの後者の人たちに聞いてみたいですね。AT原理がそのアプローチや動きの違いによって変わるものなのでしょうか?言い方を変えればアプローチや動きに違いがあってもその内側には同じものが流れている。それがAT原理でありそのことを理解し、磨きたいのならば、あっちこっちいろんなアプローチに手を出していてAT原理を深く理解できるでしょうか?ってね。

松嶌:前に話が出た“守・破・離”で、守をしっかり固める前に安易に破ってしまうと「離」じゃなくて「迷」にしかならない。

谷村:旨いこと言いますね。

中白:その「迷」になる大きな要因はエンドゲイニングにあるように思います。

谷村:なるほど。エンドゲイニング的心理に「惑わされて“守”から離れて道に迷う」これがホントの“迷惑な話し”ですね。(笑)

松嶌:だからこそ、リカ先生のような原点にしっかりつながっておられる先生から直接指導いただいていることにすごい価値があります。

ちなみにヨガ協会ではいろいろな分野から学びますが、それぞれがシンプルに磨かれた技法や考えだけを厳選しているつもりです。でなくては、どこかでかならず矛盾してバラけてしまう。普遍的な原理をもつものは、それぞれ通じるものがあるように思います。もちろんまだまだ自分たちで磨きをかけている真っ最中ですけれど。

谷村:“磨きをかける”いい表現ですね。それで連想するのが“切磋琢磨”とか“練磨”ですね。いずれも玉や石などを刻み磨くことの意味から学問などに勉め励むことの意と広辞苑にはありました。それと私は思うのですけれど、磨きをかけるには“同じところ”を何度も何度も擦らないと光沢は出てきませんね。物事を深く理解し、それに磨きをかけるには“同じことを根気よく何度も何度も繰り返す”ということがぜひとも必要となってきます。

中白:ええ、磨くことによって本質に近づく、または本質が見えてくるように思います。

松嶌:1%のひらめきと99%の汗っていうわけですね。ただ繰り返しも習慣化して意識が眠りこんでいないかどうかは自分だけでは分からないもので、目覚めていることを確かめる機会として協会では研修があります。年に2回のリカ先生の訪問にはそういう意味もあるのではないでしょうか。

谷村:自分たちだけでやっていると、そんなつもりはなくてもどこか機械的になり、意識が眠り込んでしまうところは確かにありますね。

中白:機械的になる理由は、一度見たものを“わかったこと”として2度目は見てしまうからですよね。でも、こんな経験ありませんか、一度読んだ本を何年後に読んだら、最初に気づかなかった新しい気づきがあるという…。その理由は、わかったものとして読まずに、新たな気持ちでその本を読めたからでしょうね。それともうひとつ、その気づきは、読んだ本人自身が最初に読んだときと比べて成長している証なんだと思います。自分自身が磨かれてくると今までと全然違った視点でものが見えてくるのだと思います。

松嶌:ヨガのアサナも、前屈とか、ネコのポーズとか、ごくシンプルなアサナなのに何年続けていても飽きるどころか、いつも発見がある、それと同じでしょう。

谷村:眠り込んでしまいそうになる意識を目覚めさせてくれるという意味でもリカさんの訪問はわれわれにとって大変ありがたいです。それからいよいよ3月にわれわれがリカさんの祖国に訪問することになりました。ここにいる3人も勿論行きます。

中白:は〜い! イスラエル、とてもとても楽しみです!ちょっとデンジャラスな国と思う方も多いと思いますが、私は今からワクワクです。ワークはもちろん、シモエルさんに会うことや、イスラエルという国を感じることができると思うと楽しくなります。

谷村:会長から借りたDVDの“キングダム オブ ヘブン(天の王国)”見ましたよ。ますますイスラエルという国に興味が出てきました。超大作でしたね。

松嶌:3時間の長編、お疲れさまでした。「エルサレムとは何なのか?」っていうあの映画の問いかけは今も続いていますよね。私たちには実感がもてない「国を失う」とか「国を守る」ということを人々がリアルに感じていて、その感じが宗教に直結している、他の国とは違うところですから。今回はパレスチナ側には入れませんが、人々がどういう顔をして暮らしているのか、興味があります。リカさんがワークだけではなくあちこち訪問するように強く勧められたのも、日本人が学べることが土地や歴史に刻まれているからかなって思います。

谷村:ユダヤ人とわれわれ日本人の精神構造の中に非常に似通ったものがあるような気がします。それは簡単に言ってしまえば物事の本質を深く知りたい、極めたいという欲求のような気がします。日本ではそれが“何々道”という形で存続してきました。ところが経験してきた歴史は180度まったく違うような気がします。会長が言われた「国を失う」なんて経験はわれわれにはないわけですね。

松嶌:女性も含めた皆兵制度のある数少ない国で、アラブ系の国々とはずっと臨戦態勢…。

谷村:そういった、われわれには想像もつかない経験を背景にして成り立ってきた国をよく観察することによって何かを学べるかもしれませんね。本当に楽しみです。

中白:これまで数人のイスラエル人AT教師と出逢いましたが、本当に日本人に近い感覚を感じます。浅く広くではなく、深く追求していくところに私は魅かれるのかなぁと思います。そして、ATの本質はプライマリーコントロールにあると思うのですが、それを外さずに伝えていく強さを感じます。それが私にとってカッコイイと思います。今年も皆さんと学びの多い年になりそうです。

谷村:日本AT研究会としても、この研修旅行を弾みに、今年も国際ヨガ協会の皆さんともご一緒に、新たな展開に踏み出せることを願っています。