2019 新春鼎談

T:谷村英司 N:中白順子 M:松嶌 徹


谷村:あけましておめでとうございます。また新しい年を迎えましたね。

中白:あけましておめでとうございます!旧年中はお二人にいろいろとお世話になりました。今年もどうぞよろしくお願い致します。

松嶌:こちらこそ、変わらず元気にご一緒したく、お願いします。今年は新天皇のご即位で年号も変わるように、心機一転して新しいことにも取り組んでいきたいと思っています。

谷村:ほう、それは楽しみですね。その前にまずは2018年を振り返ってみてヨガ協会の方はどうだったでしょう。印象に残った出来事があったでしょうか?

松嶌:前半と後半でまったく違うイメージですね。平穏、順調に過ぎていたのが6月に近畿地方に久しぶりに大きな地震が来たと思ったら7月の豪雨災害。続いて記録的な台風が週末ごとに襲ってくるという感じで、実践会などの研修で立て続けに大きな影響を受けました。それだけに10月の箱根のヨガフェスティバルが好天に恵まれて無事におこなえた、それだけでも感謝のうちに終えた一年という感じです。

中白:そうでしたね。夏は猛暑と台風と大雨。大変なことが沢山ありましたね。

谷村:そうそう。鹿児島トレーニングコースが大雨で新幹線が動かなくて、中止になったこともありました。新大阪で半日ほど新幹線が動くのを待っていましたが、状況が良くなるどころかますます悪くなり、結局動きませんでした。奈良でのトレーニングコースも台風で一日お休みになりました。

中白:鹿児島のトレーニングコースと言えば、今年でもう3年になります。今年の末に卒業される予定です。

谷村:そうでしたね、早いものですね。皆さんマジメによく頑張っておられます。心身共に成長されているのを感じます。順子さんはどんな風に感じられていますか?

中白:皆さんお仕事しながら、または介護もされながらのトレーニングコース、よく頑張 られましたね!でも、スタート前は忙しくなり大変と思われたと思いますが、トレ ーニングコースを学びながらのほうが体調が良く、意外と仕事と両立できるなぁと感じてくださってると思います。

谷村:「案ずるより産むが易し!」ですね。

松嶌:大河ドラマではいつも薩摩隼人が活躍しますが、その後ろには優しいけれど芯の通った“薩摩おごじょ”がいればこそ。日本女性のたくましい一面を存分に発揮されているのでしょうね。

中白:それと私が個人的に感じていることは、トレーニングコースを1期生から4期生まで指導させていただいたおかげで、私の中で年々AT原理が整理されたり、骨格、関節や筋肉と体の内側の働きの関係性がより統合されてきたと思います。

谷村:3年×4期ですから、トレーニングコースの指導は12年になるんですね。順子さんが 言うことは確かに私自身もそれは感じています。ただ個人的にアレクサンダー・テクニーク(AT)を学び続けるとか、個人レッスンのみを指導しているだけでは得ることができない多くのものを得られたような気がします。そういう意味で私たちは幸運だったと思うし、その幸運に感謝ですね。

松嶌:昨年秋に栃木まで〔ヨガ療法士講習〕に来ていただきました。ATの原理の一端でも体験してもらいたくて無理を承知で毎回お願いしていますが、今回また少し新しいアプローチで、皆さんこれまで以上にはっきりと体感されたように思います。個人レッスンとは違って、おおぜいに言葉で伝えるには、教師のなかでほんとうに整理されていないとバラバラに誤解されて終わるはずですが。

谷村:ありがとうございます。それなんかも長年トレーニングコースを指導させていただいてきた結果かもしれませんね。同じことの繰り返しのトレーニングの中で私の気づかないところでATに対する理解が精査され、成熟してきた結果かもしれません。そう言っていただけると、わざわざ日帰りで宇都宮まで行った甲斐がありました。笑

松嶌:はい、2時間半のレッスンに往復9時間。とはいえ単純計算で30人だから延べ75時間、しかも協会の次世代を担う人たちに。大きな意義があったと思います。

別の一面として、10月のフェスティバルと日本での初開催の世界組織ATIの年次総会が重なって、お二人をはじめ多くのAT教師が京都に向かわれました。それでも関東の3人の先生が個人レッスンを担当くださって、多くの参加者からとてもよかったという感想が寄せられています。繰り返し続けてこられたことが確かにAT研究会の先生がたに伝わっているのだと、多少の心配はしていた私も、実に嬉しかったです。

谷村:それはよかったですね。それを聞いて私も安心しました。

中白:年次総会での谷村先生のワークショップも参加された皆さんから好評でしたね。体の内側の働きの理解として"おりん"を使われての説明がとても良かったと思います。スリコギでおりんを擦り、響きが段々と大きくなり部屋に響きわたり、スリコギとおりんとが接触することで共鳴し、お互いの交流が働き響きあう…。

私達AT教師が苦労するのが、生徒さんに方向性を伝えた後に起こる、内側の働きです。協調作用はとても繊細で早く、トータルに体全体に働くので、生徒さんがキャッチできない場合があります。そして、内側の働きというものが一体どういうものなのかを理解してもらうのに苦労しますが、谷村先生がワークショップで表現されたことがその助けになったと思います。

谷村:もしそうなら、やった甲斐がありました。スポンサーの一人であるスイスのローザルイザ・ロッシさんは私があのワークショップの中で話した、“おりん”、“響き”、そして“交流”というテーマの中に、彼女が長年疑問に思っていた答えがあるようだと言ってくれました。そしてアメリカのスポンサーのビル・コナブルさんは、自分が長年探求しているATのテーマが私と同じ方向のものを見ている気がする。そういう意味で「あなたと私はブラザーだ!」なんて言われちゃいました。ATIの年次総会についてはインナームーヴで紹介させていただきましたが、日本人のAT教師にとってインターナショナルな組織がどのような活動していて、どのような人たちが集まっているのかを肌で感じることは良いことだと思いました。ATについて様々なとらえ方があることを知ることも勉強になったと思います。つまり、ATに対するとらえ方は一枚岩ではないのです。

松嶌:様々なとらえ方というのは、ワークでのアプローチが多様化してきたということでしょうか。それは応用範囲が広がってきた、それともATそのものを変えている教師が増えているというようなことでしょうか。

谷村:うーん、微妙なところを突っ込んできますね。(笑)真面目に答えるなら、少なくとも応用範囲ということではありません。F.M.アレクサンダーが発見したATをどのように捉えるかは自由なわけです。イエス・キリストが始めたキリスト教やお釈迦様が始めた仏教と同じようにね。おそらくヨガの世界も同じですね。様々なとらえ方が次から次へと出現しています。それがいい傾向なのか、悪い傾向なのかは一概に言えません。

松嶌:そうですね。入り口を広げようとするもの、途中を歩きやすくしたり近道だというもの、そして新しく見出した目指すところに連れていこうとするもの…。

谷村:それぞれが興味のある視点で理解したことを進んでいくしかないんですね。もちろん私自身も。

中白:谷村先生の言われることはよく分かりますが、意味を間違って捉えたら、何やっても大丈夫と捉えてしまう危うさも感じます。

谷村:確かにこのように言ってしまうとそういう気がかりは出てきますね。しかしそれをだれも止められない、あるいは止める権利はないという現実があるのは事実です。

松嶌:それぞれ自分が理解した通りにしか伝えられないし、もちろん教えている人は熱意や善意に基づいているはずだれど、それをヨガって呼んでいいのかなって思うことはありますね。ポーズをすればいいというわけじゃないとか、それはマッサージだろうとか。

谷村:ATの世界でも同じですね。私の個人的な意見として、そんなのATじゃないよって言ってしまうことがあります。

中白:私も好き嫌いがはっきりしている方なので、そう思ってしまいますね。

谷村:でも、ようやく公の場では慎めるようになりました。ちょっとは大人になったかな?(笑)冗談はさておき、この歳になって少なくともそんなのヨガじゃないよとか、ATじゃないよという批判的、評価的態度は実際には何も生み出さないし、現状よりも良いことは生まれないということはわかってきました。確かに現実にはそういった問題というか気がかりはあるのだけれど、だからと言って、誰かが正しいと思うヨガなりATなりに決めてしまおうということの方が良くないことだと思うのです。犯罪でない限り、ちょっと大げさかもしれませんが、そういった排除の方向は戦争へと導くような気がします。たとえそれが正しいことであったとしても、そのことしか認めないという方向は良いことを生み出さないのです。

松嶌:でもやっぱり応用は応用であって、区別すべきでしょう。ヨガは“神との合一”という目的にいずれは達するためのアプローチという意味で、日本語の“道”に近い。武道に剣道や柔道、華道や茶道から仏道に神道と無数にあるのと同様に、インドでも実に幅広い行為がヨガと呼ばれます。国際ヨガ協会ではホリスティック医学に伝統的なヨガ行法を応用しています。非暴力のような最低限のルールを守りながら原点を見失わなければ、迷子にはならない。でもATは、その名前が示す通りF.M.アレクサンダーという個人が編み出した特定の技術でしょう。彼の残した方法論や思想の範囲を越えたら、もうATと呼んではいけないのではないですか?

中白:ATの基本が、ずれてしまったらATじゃなくなると思いますが、基本があっての応用は良いと思います。そして、私達も年々成長して新たな気づきから進化したATになっているように思います。

谷村:おっしゃることはその通りだと思うし、わかります。しかしそれを実行する上において、問題は「誰がそれを決めるのか? 誰がそれを実行するのか?」というところを問いたいのです。F.M.が生きていればまだしも、亡くなっていて、そのことを契機にさっき言ったような現象が起こり始めたのです。そしてそのことを誰も止めることはできなかった。そういう意味ではATもヨガと同じプロセスを歩んでいるように思います。そしてこれは私には当然の帰結のような気がします。だからそれぞれのとらえ方は違うけれど、違うままでいいから、せめて4年に一度くらいは集まってワークショップをしてそれぞれのとらえ方を発表してみないかというのがコングレス、世界会議の始まりでした。

松嶌:ATIも可否の判定は下さないという態度のようですね。

中白:そうですね。ATIの年次総会においてもそういうスタンスが一つのポリシーのような気がします。

松嶌:それだけATには普遍的な、形が少々変わっても揺るがない原理があるワークだという証拠でもあるといえるのでしょう。

谷村:そうですね。普遍的なテーマであるからこそ様々なとらえ方が出てくるんだと思います。

松嶌:「前に上に…」という原理さえはたらけば、それなりの効果はある…。だから別に隙のない一枚岩である必要もなく、それぞれ自分が学んで身につけたものを自分流に発展させていける。それを学びたいという生徒がいれば続くし、そうでなければ消えるだけ、と。ヨガも道も長い間に無数の試みがなされては消えた、繰り返しの結果が現在の姿だと言えます。

谷村:今回の年次総会に参加して、ATIという組織にはとらえ方の違う様々な教師が集まっていて、批判や評価はせずに相手の考えを聞き、もしそれに対する気がかりがあれば話し合うことができる雰囲気がありました。

中白:私もそれはからだを通して感じました。いつもの私だけでは起こらない不思議なからだの感覚でした。いつもの私の内側の働きだけじゃないと感じたんです。以前コングレスに行った時も同じ質のものを感じていたのですが、私の体の中で何がおこってるのか、その時は良くわかりませんでした。今回の年次総会で、それがハッキリしました。特にサラ・バーカーさんのワークショップに参加した時、私と皆さんとの共鳴した結果の体感覚なんだと!

松嶌:実際にワークを交換しなくて も起こったのですね。“オーラ交換”で、世界から集まった教師の皆さんもまた、日本という場で多くの日本人教師と接して不思議な感じを持たれたことでしょう。

谷村:唐突かもしれませんが、私には関係があると思うので話します。私は週に一度、法隆寺の近くにあるスタジオでATを指導させてもらっているのですが、そこに太子道(たいしみち)という聖徳太子が飛鳥まで通われた史跡があります。その道中に彼の銅像があって、「和をもって貴(とうと)しと為す(以和為貴)」と刻まれています。

中白:『十七条憲法』に出てくる言葉ですね。

谷村:そう。先ほどまでの話で、自分の見方やとらえ方を主張することは悪いことではないけれど、この「和をもって」という態度を持っているべきであり、そこには大変価値のあるものが生まれる可能性があるのではないかと言いたいのです。

松嶌:豪族どうしが熾烈な権力闘争をくり返していた当時の情勢を反映した、第一条ですね。出身国が違うから風習も言葉も違う民族をまとめる立場の聖徳太子だったから、切実だったと思います。ATではまだ共通の用語を使うし、元をたどれば一人に行きつく兄弟姉妹ですから、それほど深刻ではないでしょうが。

谷村:もちろん戦争のような深刻なものではないにしてもこの「和」は、物事を進めていく上で私たち人間にとって非常に大切な態度ではないかと思うのです。そこでこの和という言葉の意味を改めて調べてみました。「やわらぐ」という読みから「穏やかな、ゆったりと落ち着いた状態になる」あるいは「打ち解けて仲が良くなる」。そして、「うららか」や「空が晴れて天候が穏やかなさま」という意味もありました。その他に「釣り合いが取れている」、「整う」、「親愛の意味を表す」。

大いなる和を持っている私たちの国のことを「大和(やまと)」と言います。今年は私たち日本人がともすると忘れがちな「和をもって」ことを進めていくという態度の大切さを顧みることで今年の鼎談を閉めてみてはどうでしょう。

中白:あと「対立や疎外がなく、仲良く協力し合う」、「静まる」、「柔らかくなる」と言う意味も和にはあるそうです。そう考えるとまさにATの協調作用そのもののような気がします。

松嶌:“協調作用”、いいですね。一人ひとりは自立しているんだけれど、だからこそ協力するとより良い働きができる。時代はこれまでのような序列型の“タテ型社会”から、互いにフラットで対等な関係でつながる“ヨコ型社会”に移っていく、そうでなくては人類全体としても生き残れないのではないかという見方があります。元号も変わる新しい時代は互いに尊重し、協調しながら発展していくグループでありたいと、私も願っています。

谷村:そのためには私たち個人個人が強さと柔らかさを養っていかなければなりません。

松嶌:荒さ、争いは弱さの反作用ですから、ほんとうの強さ、ほんとうの柔らかさを培うことが「和をもって」生きることになる。まずは自分自身が心がける一年にします。

中白:一つの目的に対してそれぞれ違う考えがあるということを理解したら、全体が見えてくると思います。今年一年、皆さんとの関わりに和を忘れないようにしたいと思います。

日本アレクサンダー・テクニーク研究会