去年を振り返って

Thinking Inner Movement〜考えるワーク〜

日本アレクサンダー・テクニーク研究会・代表
谷村英司


空間上の動きと内的運動

明けましておめでとうございます。旧年中はインナームーブのご購読ありがとうございました。今年も引き続きよろしくお願い申しあげます。

そこで去年一年間のまとめとして原稿を読み返してみました。するとこれまでのからだに対する捉え方を「からだの動き」と関連付けて再考していることが分ります。この「からだの動き」を定義すると、からだが外の空間上を移動する動きのことです。この動きと対峙するのが、私が言っている「内的運動」です。これは外側の動きではなく、からだの内側で生じる運動です。これまではこの内側で起こる動きの重要性について説明してきました。そしてこの運動がどうすれば活性化して働くことができるのかを実験を通して考えて来たわけです。私たちの日常生活における活動は、外側の空間上を移動する動きなので、一般的には外的な動きさえできれば何の問題もないと考えられているかもしれません。


空間上の動きと習慣

しかしこの動きをしようとする時にからだにとって不都合なことが起こるのです。その不都合とはアレクサンダー・テクニーク(以下AT)でいう「習慣的反応パターン」のことです。そしてこの不都合を改善するために内的運動が是非とも必要になるというのが、ATなのです。つまり空間上の動きをしながら内的運動を起こす必要があるのです。ですから内的運動さえ起こすことができればそれで解決、というわけではないのです。なぜなら、からだを静止させた状態で内的運動を起こせたとしても、空間上の動きをしようとした途端に習慣的反応パターンに陥ってしまえば元も子もないのです。そこで、私たちが空間上の動きをしようとしたときに内的運動を邪魔する要素で、からだの動きと同時に起こる習慣について考察する必要があるわけです。理解しておいてほしいことは、私たちの行動において、空間上の動きをするときに、内側では「習慣的反応パターン」が起こる場合とそうではない、「内的運動が起こるパターン」があるということです。前者の場合は、姿勢を崩し、内面においてはからだを重苦しくし、本来の機能的なからだの働きを邪魔してしまうわけで、ここに私たちのからだの様々な問題の種みたいなものがあるのです。反対に後者の方は、習慣という問題を解消してくれるものなのです。


クリティカル・モーメント(決定的瞬間)

そこで、どういうわけか空間上の動きにおいて二つに分かれてしまい、しかもほとんどの場合は習慣的反応パターンに陥ってしまう、このふたつのパターンをよく観察して行く必要があるわけです。そうすると二つのパターンに分かれ、その分岐点となる瞬間(これをATでクリティカル・モーメントと言います)が、空間上の動きをしようとするまさにその瞬間にあったのです。その瞬間に習慣的反応に陥ると、からだの中心を貫いている「背骨」に崩れが起こります。この崩れから空間上の動きをさらに続けようとすると、からだの重さ感覚や筋肉の緊張パターンを生み出してしまいます。この習慣的反応パターンの手順をもう少していねいに言うと、空間上の動きに入ろうとすると、まずからだの崩れが起こります。そしてこの崩れを立て直すことなく、さらなる動きをしようとからだの重さ感や筋肉の緊張パターンが生まれるという順です。


重さ感覚と筋肉の緊張

ここで、この重さの感覚について確認しておく必要があります。私たちが重さ感覚として捉えているものには二つのものがあると思うのです。

一つは例えばあなたの目の前にあるものを、コーヒーカップやスマホなど何でもいいですから手でゆっくり持ち上げてみてください。そうすると、そのものの 重さをからだに感じます。これが私たちの感じる重さの一つです。もうひとつは先ほどから話している、自分の腕を空間上に持ち上げる時に感じる重さです。多くの人はコーヒーカップの重さを感じた時と同様に、これを自分の腕の重さだと考えます。しかしそれさを自分の腕の重さだと考えてしまうと、その重さ感覚を解消するためには筋肉を強靱なものにするために鍛えるという答えしか出てこないのです。

 確かに腕の重さはあります。したがって筋力も必要です。しかし、腕の上げ方によってはこの重さ感覚を軽減することはできるのです。このことに関して、野口体操の野口三千三さんがその著書の中でこのように言っておられます。

「自分のからだの重さを感ずる感覚受容器」は、筋紡錘・腱紡錘その他未知のものをふくめて数多くのものの綜合と考えられるが、重さの感覚は筋肉の緊張感・抵抗感がその中心となる。動き方によって何十キロのからだをほとんど全然抵抗として感じないでうごくことが可能である。このような動きの感じを合理的な動きの基礎感覚とすべきだと考えている。

(『原初生命体としての人間』より)


この中で彼が言っている「何十キロのからだをほとんど全然抵抗として感じないでうごくことが可能である」ことと私が言っている「からだの重さ感覚を軽減することができる」ということは、同じことだと考えていいと思うのです。


重さ感覚と背骨の崩れ

そして先ほどから話しているように、この重さ感覚と背骨の崩れとが関係していると私は考えています。つまり背骨の崩れさえ解消すれば重さ感覚と筋肉の問題は解決するのです。

ここまで分ってきたら、どうすればこの背骨の崩れを阻止できるのか?という疑問が出てきます。その答えは、背骨に内的運動を起こさせることによって解消できるのです。それでは、どうすれば背骨に内的運動を起こすことができるのか?という疑問が出てきます。様々な実験の結果、意識、その中でも特に感覚が外に向かうことが背骨の内的運動を誘発することが分ってきました。それが実際にからだの中でどのように働くのかを明確にするため、いろんな実験をしてきました。感覚を外に向けるために外を見るとか、耳で外の音を聞くとか、外のものに触れるということもやってみました。それらは全て背骨の内的運動を活性化することにつながっていたのでした。

ここで私のイマジネーションとして思い浮かんだのが、“響き”という活動です。この響きという活動が内的運動の比喩としてわかりやすいと思ったのです。外と接触し、触れたときに内側で背骨が響き出す、つまり内的運動が生じるというイメージです。そしてその背骨の活動が響きとなって頭を前に、上に、背中を上下に長くし、左右に広げ、両足は床に対抗するという活動につながってくるのです。

今年はこの意識を外に向ける、あるいは外界に触れる、関わるという意識状態がどうして背骨に内的運動を発動させるのか?そしてどうすれば空間上の動きと矛盾しないで活動させることが可能となるのか等々、様々な実験を通してもう少し突っ込んで探求していきたいと思います。

2020.01