オンライン座談会 on AT @ズームミーティング②

前回、「事実を素直に観ること」の大切さと難しさについて鹿島先生が話されたところから…。

参加者:谷村英司 / 松嶌 徹 / 鹿島啓子 / 細川哉苗 / 小湊育世


谷村:鹿島さんが気づいたように、その人自身が気づく必要がありますね。「ああ、こういうことだから観られないんだ」ってこと、ですよね。

鹿島:私がそのことを伝えようとしたときに、生徒さんを傷つけたようになってしまう場合があるんです。もちろんそんなつもりはないんですが。そういうとき、どう説明したらいいのかなぁって思います。

谷村:そこは生徒さん自ら気づいてもらうしかないですね、僕の長年の経験では。気づかせることはできないけど、それに近い発言はできるってことです、繰り返し。生徒さんは一般的に「どうすればいいのか」を知りたがります。そして、教師はその答えを言いたがります。それが鹿島さんがおっしゃったように、「素直になれば」っていう答え方なんです。だから僕は、いつも反対のことを言うようにしています。できない理由ってなんだろう、どうしてできないのかを考えてみたらどうでしょう、と。

鹿島:あぁ、あぁ…。

谷村:たぶん私たちは、腰が痛いと気づいたとき、どうしたら治るんだろうとすぐ考えるはずです。「治る」っていうことに気を移したら、痛いことをもう見なくなる。それが鹿島さんの言う事実を受け入れないって意味ですね。

鹿島:そうですね。

谷村:事実を受け入れようとしても、思考は「ああ痛い! どうしたら治るんだろう」ってすぐ移っちゃうってことです。その態度が事実を受け入れられないことになるのです。その態度に鹿島さんは「素直じゃない」と感じたんじゃないでしょうか。

鹿島:今先生がおっしゃったことを、言ってもいいのかなあ。言うとグッとする人っているじゃないですか。

谷村:それは持って行きようだと思います。素直か素直でないかではなく、事実に対して興味ありますか、ってことなんです。興味が無いって言われたら、もう言わない方がいい。(笑)雰囲気で分かるじゃないですか。分かりそうもない人だなって思ったら、もうやめた方がいいです。(笑)

鹿島:実は先週、一人の気分を悪くさせちゃって、久しぶりに、もうちょっと手前でやめとけばよかったなあって思いました。

谷村:僕らもよくやっちゃうことなんですけど、やっぱり自分が正しいことを知ってるっていう傲慢さです。正しいことなんかどうでもいいんですよ。だから、どうやったらこの人はオープンになってくれるかなっていう視点で話をしていかないと。で、どこか切り口がないかとオープンな会話の中で探すわけです。オープンな会話の中でなら、ちょっとした切り口が見えるかもしれない、たとえばからだのことに関しては閉じちゃうけど、料理の話ならオープンになるように。僕にとったら料理の話であろうが、からだのことであろうが、原理は同じなんです。でも普通の人は同じじゃない。これに対しては開けるけど、あれに対しては閉じるっていうのはあるんですね。だからその人の開きやすいものを見つけて、そこから同じ話をすれば。その感受性を、鹿島さんの中でいつも相手に対して持っておく必要があると思います。

鹿島:私が「集中ワーク」が良かったっていう感想をちょっと長々と言ったんですよね。それがいけなかったのかもしれません。

谷村:そんなこと、生徒さんにとってはどうでもいいことでしょう、多分。(笑)

鹿島:そうなんでしょうか…。その人はもう早く帰りたいみたいな感じでした。

谷村:自分の考えに囚われたり、話したいっていう衝動に駆られたりすることが問題なんです、その人のためを思って。生徒さんに「素直に」なんて言ってしまうのもそれですよね。(笑)

鹿島:前よりは教えるっていう態度ではないと自分で思ってるんですけどね。今回久しぶりに奈良で1週間受けて発見がすごくあったから、それを教室に活かしたいので、ついつい言っちゃうんですよね。

谷村:だから以前話した、クオリアは伝達不可能なんです。(笑)

鹿島:あっ、ははーん。(笑)

谷村:私秘的なことなんです。だから分からない。

松嶌:奈良行ってこんなおいしいもの食べてきたって話を延々と聞かされてる、みたいなもんだよね。

谷村:(笑)そういうこと。

松嶌:食べた人にしか分からない話は、あなたも行ってみたらということしか言えない。

谷村:(笑)あるいは習ったことをうまく鹿島さんがアレンジして、その場で皆さんに何かをやってもらうとか、その方が実際的ですよね。

鹿島:動作とか発見があったことをするんですよ。

谷村:うん、それでいいんじゃないでしょうか。

鹿島:そう、それでよかったのに、ちょっと言っちゃったんですよね。でも分かりました。

松嶌:まあ、よくやる失敗ですよね。

谷村:そうですね。

松嶌:指導者という立場になって、何か生徒さんに、こんな体験、こんな料理、こんな何ていうのを提供するのが職業病みたいに習慣になってるわけだから。大抵は喜んでもらえる、あるいは喜んでるふりをしてくれてる関係だとは思うんですけど。

鹿島:ふりとは思えないけど…。(真顔)

松嶌:ふりも多いと思いますけど。(笑)

小湊:ふりも多いとき、あるみたいです。(笑)

鹿島:そうなんですか?

小湊:生徒さんが何も言わずにスーっていなくなったりした時、喜んでくれてると思ってたけど違ったんだと気づいたことがありました。

谷村:そのニュアンスは分かりますよ。経験を経て、そんなことはなるべく関心を持たないようにしてます。(笑) もちろんそういいながらも、いい意見とか、いい質問をされたら嬉しいんですけどね。でもなにかそれもこちらの問題ではなくて、その人の問題だから、教師の側としては、なるべく関わらないように、その人の気づきに任せるってことですよね。分からないと言われれば残念だけど、分からないことを尊重しないといけないし、そういうもんでしょうね、多分。

鹿島:そうですね。先生の態度はそうですもんね、ほんとに。そうなりたいと思うんだけど、強いですね、自分の思いの方が。

谷村:多方面にオープンな態度っていうのはそういう感じです。好き嫌いに左右されない、人間ですから好き嫌いはあるんですよ。あってもいいんだけど、あんまり左右されない方がいい。そういうこととは無関係なところで学びの場があるってことです。好き嫌いを持ち出すと学びにくいんですよね。

細川:私も生徒さんに対して、ニュートラルにオープンに私の考えていることをお伝えして、汲み取ってくれたらいいなあと、思うんです。長く通ってきてくれた生徒さんが、ある時ケガをされて、どうしたらいいかというメールで質問があったんです。それに対して、ああいうこともこういうこともしたらいいっていう長いお返事をしたんです。そしたら「1聞いたら100返して来た」って言われたみたいで、がっかりしちゃって…。

松嶌:それ、私の習慣です。0.1聞かれたら200ぐらいしゃべりますね。(笑) 相手がうんざりしようがなんであろうが、今伝えないと、チャンスは二度とないと思うから、どさーっと投げて、相手が拒否しようが、どう思われようが言ってしまう、相手の評価を気にしなくなったという非常に困ったパターンでやらしてもらってると、疲れないです。

細川:(笑)

松嶌:やっかいな年寄りです。

谷村:うるさい年寄り、それ。
みんな:(笑)

谷村:そのうち、みんなサーって去っていくから。

松嶌:(笑)それも気にせず。昔のご隠居さんってそんなイメージあったんじゃないですかね。

谷村:あるある。(笑)

細川:分かりました。そしたら私もマインドを鍛えます。まだ場数が足りないですね。

松嶌:まだまだこれから。

で、英司先生、好き嫌いにも二つあって、その人が習慣的に築きあげた価値観で判断している場合と、もっと直感的に大脳新皮質じゃないところで、好きか嫌いかって反応してる場合とは違うんじゃないですか?

谷村:僕の感じでは、これも感覚的なもんですけども、その深いところのものは、好き嫌いを超えてますから、好き嫌いじゃないような気がしますね。その本質的なところにある原理、生きる原理みたいなものは、僕らの個人的な好みと全然無関係でしょ。僕の個人的な好き嫌いと無関係に、その生命力は動いてるはずなんです。ちっちゃな僕のマインドの好きや嫌いや、正しいや間違いを超えてますよ、やっぱり。それが大脳皮質のちっちゃなところなんでしょうね、多分。大脳皮質の判断っていうのはすごいちっちゃなところで判断してます。でも深い原理はそんなこと超えてますから、明らかに。このあいだこんな質問されたんですよね。「先生、嫌いな人来たらどうすんの」って。「嫌いな人が来たら閉じるんじゃないでしょうか」って質問があったんです。(笑)で、僕が答えたのは「それは昔はあった、確かに。でも今ははっきり関係なっていうことが分かった、嫌いな人であろうがワークはできる。それはプライマリー・コントロールっていう、原初的な活動について触れてるから。僕の好みや、正しい、間違いのそんなちっちゃなレベルの活動ではないから、そんなことは関係ないって言えるようになった。そしたらそれこそ会長がおっしゃったように、すごく楽になった。そんなことが全然吹っ飛んでくれるものだっていうことですよね。そういうものに囚われている以上は、その原初的な深い意味での発見っていうのは、ちょっと見えなくなるし、聴こえなくなることは確かだなと思います。

松嶌:鹿島先生の嫌がられた生徒さんも、あるいは細川先生の生徒さんが否定的な反応をされたっていうのも実は表面的な、大脳新皮質が作り上げたご自身の判断で反応されてることだから、そんな反応にこちらの深いところが反応しちゃうと、絶対アウト。

谷村:ですから僕の感じでは、反応しないでいいんだ、これは反応する必要がないんだ、それでも相変わらず背骨は活動できるんだっていうことを思えば、全然問題ないし、会長がしゃべることやお世話することだって、それは大脳皮質のやってる仕事ですから、ちっちゃなことなんですよね。その結果嫌われようが、好かれようが、おっしゃったように気にする必要はないし、(笑)それはエゴを持っている人間同士の営みなんですよね、多分。

松嶌:右か左かの戦いみたいに、相手はそのフィールドに引き込もうとするから、乗っちゃうとエゴの思うつぼですね。

谷村:対立が起こりますね。だからいつも大脳皮質支配の社会が動いてるわけです、これは事実だと思います。そういう社会で僕らは生きてるわけですけども、それを否定することなく、でもそういうことに引き込まれない知恵と技を持たないと。

松嶌:それが今、コロナ騒動であれ、アメリカの大統領選挙であれ、ブラックライヴズ・マターであれ、その大脳皮質的な善悪とか、正しい、間違いという判断のフィールドに私達を巻き込もうとする力が現代文明にはあるので、いかに巻き込まれずに、自分の、本質的にあるプライマリー・コントロールを失わずにいられるかどうかというところですよね。

谷村:僕らは具体的にからだのことを日々やってるわけですけど、私たちのからだに対する考えも、そういう大脳皮質に支配されたからだの捉え方をしているもんですね。ですからそれに巻き込まれないで、新鮮な捉え方を提案し合えたらいいんです。それはすごく気づきになるし、何かが動き出す、変わり出すことは確かでしょう。ですから以前に書いた本の中でも言ったように、それを「新しいからだ観」と表現をしたんです。それは、大脳皮質支配じゃないからだ観として捉えてもらえればいいな、と思ったからです。

松嶌:大脳皮質的、善悪、損得、そんな物差しではない、感覚でどのように日常を、生きられるかというヒントっていうことでしょうか。

谷村:そうですね。みなさんを見ていたら、見事にからだは即、答えてくれているものだと感じています。見事に背骨は動き出すし、見事にイキイキし出すし、肯定性を持ち始めるっていうのが、実感としてあるんですよね。ATを知らない人だって、こういう理屈を分かっていない人だって、見事にそうなっていく、この不思議さですよね。これは、大脳皮質には理解できないようなんです。だから私も説明できないんです。(笑)ただ事実としてそうだ、っていうことは認める必要がありますよね。そのときに、おもしろさが出てきます。今日も生徒さんが「毎日同じことをやってるのに、今日のレッスンがなんか全く新しいもののように感じるのはなんでしょう」って聞かれたんです。僕もそうなんです。同じことの繰り返しなのに体感的には、いつも新しい出来事が今、起こってるなっていう感じがあるんです。ですからその感じが面白いので、また皆さんは来てくれていると思うんです。そういう不思議な現象ってあるっていうことですよね。

松嶌:まさに、ヨガ協会でもアレクサンダー・テクニークや、ボディワークを常に意識したアサナを心がけたいと思っています。例えば前屈のポーズも毎日、あるいは2回続けても最初と次では違うし、からだの変化をキャッチできる前屈のポーズっていうのが大事なんです。これをすれば何にいいですというところとは質が違う、それを伝えたいんです。

谷村:だからそういう意識のステージを、繰り返しのレッスンの中で、浸透させていくことが、僕らの仕事であり、狙いであるわけですよね。

松嶌:木脇先生や鹿島先生はそれを教室でもされてるっていうことですよね。

細川:そうですね。私自身が生徒として受けた時に、今日は良かったなっていう時は、ほんとに心身共に開くんですよね。ただ、先生もどんどん言うことが変わります。(笑) 日々の研究で先生が感じられていることが違うので、言うことが変わってくるのかなっていう風に捉えてます。

谷村:日々考えてる人ほど、いつも変わりますよね。そうやって工夫しているし、自分の思考実験みたいなものをやってるわけ。その研究の方向性は間違いとは言えないんですね、それがあってこそ次のステップがあったって考える必要があると思います。ですから、なにかそこのステップを踏まないとそこには来れなかった、この間違えがなければ良さは分からなかったっていうことはよくありますよね、だれでも経験することです。ですから間違えを否定できないんです。その繰り返しの中でどんどん変化していくっていうのが、僕らのからだと意識なんです。

そして変化することを拒まないことですよね。変化を拒むっていうのは、今言った閉鎖性なんです。決めたがるってことです。そしてその安心して決めたがる意識こそ、問題なんです。

松嶌:子供が閉鎖してない感じなのは、変化し続けるっていうことと同じ意味でしょうね。

谷村:そうでしょう。だから変化し続けるっていうのは結構、大人になればなるほど大変なんですよね、多分。(笑) どっか僕らの大脳皮質は、もう、決めたいんです。(笑)このへんでええやろ、みたいな。

松嶌:楽したい、と。

谷村:うん、もうこの辺でこういう風にパターン化しようよって言って、気楽に生きたいと思うわけですよね。

松嶌:これでええ目したから、また次もとか。

谷村:要するに大脳皮質は、怠け者だと思います。いかに簡単に、楽にできるかだけを一生懸命、考えてるんですね。考える動機がそういうものなんですよ。そんな立派なことを考えてるわけじゃないっていうか。(笑) いかに楽にええ格好ができて、うまくやれるかっていうことだけしか考えてないから、内容については全然、真剣に取り組まないわけです。ですから本題になかなか入れないんです。そういうところが社会全体に起こってることだと思います。今の社会の大切な問題に取り組めばいいのに、政治にしたって取り組めないんです。明らかにおかしいなってみんなわかってるくせに、それには取り組まない。からだに対しても似たようなとこがあって、なんかおかしい考え方や変な捉え方が問題になってるんだけど、みんなはその考えを変えようとしないってところがあるわけです。これはやっぱり、大脳皮質の仕業だと思いますね。

松嶌:今の英司先生の説明って、きっと女性の目から見たら男がそう見えていると思うんです。理屈っぽい、大脳皮質的な文明を築いてきたじゃないですか、男性原理が優位な時代に。その点で女の人は理屈じゃなく、むかし「子宮でものを考える」って言われたけど、男とはちょっと違う面もあるのかな。鹿島先生どうなの?

鹿島:申し訳ないですけど、男の人のことはあんまり私分からない。(笑) 結婚は早かったけど、あれは多分、若くって何もわからなかったときに勢いで…(笑)。

<つづく>