オンライン座談会 on AT @ズームミーティング③

続いてきた新春座談会も、締めくくり。さあ、お話はどのような展開になったのでしょう。

参加者:谷村英司 / 松嶌 徹 / 鹿島啓子 / 細川哉苗 / 小湊育世


鹿島:さっき英司先生が、変化を拒むといった保守的な態度のことを言われましたよね。このあいだの集中ワークの出来事なんですけど、立ち座りの動作の瞬間にすぐに動けない、保守的な自分に気づきました。それが、からだの反応として表れたことに気づきました。そんなリアルな経験をしました。

谷村:その保守的っていう意味は、みんなは相も変わらず、自分のやり方で座ろうとするってことです。さあ動ける、と思った瞬間には、すっと自分のやり方に変えるんですよね。保守的ではないやり方は、好きじゃないとか、気持ち良くないとか言い出すんです。

そこに気付かないと変わらないんです。ですからマクドナルドが本の中で言っていますよね。「生徒は僕のところに、私は変わりたいんですってやって来るけど、ほんとは変わりたくないみたい」って。(笑)さっきの閉鎖性も同じことです。保守性なんです。そこからどう自由になるかっていう問題が次の段階としてあるわけです。

鹿島:でも私あれからね、ちょっと自由ですよ。

谷村:うん。でもそれも慣れちゃうとまた保守的になるわけです。

鹿島:(笑)

谷村:これがよかったなあって経験をした時に、それがよかったなぁを、ずーっと維持しようとするわけです。次の日、ころっと忘れてるぐらいに革新的でないといけない。(笑)

松嶌:小さい子供のように…。

谷村:だからその保守性は、大脳皮質の仕業なんです。大脳皮質で考えた結果、鹿島さんのプライマリー・コントロールがどういう風に働き出すかは、大脳皮質には分からないんです。そういう態度をいつも持てますかってことなんです。そうすると新しい感じがあった時には、考え方が変わるでしょ。そうやって、常に考えを修正するわけです。

松嶌:今のお話を聞いていても、保守的になることに対する、そういう態度、習慣の癖っていうのは、男も女も同じということですね。使う道具と言うか、パターンは違っても。

谷村:ただねえ、男性の場合はやっぱりなんか欠けてるから、自由になる時間が少なすぎるって感じはありますよね。大脳皮質支配がけっこう強すぎるっていうかね。

松嶌:ま、それが評価される対象になる、それを磨き続ける近代文明ですからね。

谷村:そうです。それが社会の評価になって、自分の出世とか、そういうのに関わってくるわけですよね。だから解放できないでいる、かわいそうなところがあるってことです。(笑)女性は割とそうやりながらも解放してるし。

松嶌:うまく息を抜いてる人が多いかもしれませんね。

谷村:好きなようにね。理屈じゃないところでも生きられる、男はどうも、そういうことになってくると理屈じゃないところでは生きてはいけない。理屈に合わんことは、受け入れられないんだみたいな、ちょっと狭いところがあります。

松嶌:小湊先生、なんだか、えらいうなずいてますけど…。

小湊:やっぱり違うなって。ご夫婦で来たりすると、全然反応が違ったりするので、面白いなあと思う時があるので。それくらいしかわからないですけど。

谷村:違う動物だと思っていた方がいい。

小湊:違うと思ってたら、楽だなあと。なんか一緒だと思うから腹も立つから。(笑)

谷村:そうですよね。

小湊:みんな違っていいんだなあと思えるようになりました。ズームセッションで、前は、「えー、そんな考え方あり?」みたいに思う時もあったんだけど、最近は、「あっ、へー、こういう考え方もある、私は違うけど、そういうのもありなのかなあ」って思ったら全然そりゃそれでいいのかなぁと、思う。

それがオープンな態度だってことですね。違うことが許せないっていうことは、ちょっとクローズですね。そこには何か固執するものがあるんです。つまり保守性です。そのことを認めつつ、ちょっと気づくようにはしたいわけです。このままでは心地よくないし、ちょっと息苦しいんですよね、やっぱり。

松嶌:さて、そろそろ予定時間なんですが、これからの日本アレクサンデー・テクニーク研究会としての、方向性について、大脳皮質で答えて頂く必要はないんですけど、これからどうなりますか。(笑)

谷村:僕の今後の思いとしては、今言ったような、その閉鎖的な社会、みんなの意識状態に気付いてもらうことをメインとして働きかけてみたいと思いますね。

細川:なかなか、そのことに気づいてもらうって難しいですねえ。

谷村:難しいですよ。僕なんかどっちかっていうとね、こんないい方したらなんだけど(笑)遠慮深い人間なんですよ。ちょっとでも嫌がられたら迷惑かなと思うタイプなんです、正直な気持ちとして。

全員:(大笑)

谷村:でもそれではいかん。分かってもらえんでも、それなりに頑張ってるんですね。(笑)

細川:そうですね。

松嶌:やっぱり、どこからそれを自分が発してるかっていうことによって相手の受け取り方って全然変わる、違うはずですね。自分が大脳皮質で得た情報を伝えてるんだったら、相手も大脳皮質でしか反応しない、そこのところを自分が反省して、キャッチして、また深めていくしかないんだろうと思います。

谷村:だから常に自分自身で考えて、悩んで、自分の今のところ正直思うことを、話すしかないですよね。

松嶌:だから相手の反応ほどいい自分の先生はない。

谷村:その通りですね。

小湊:指導を、始めた頃は、研修で学んだものをすぐ、生徒さんに伝えようとしていました。でも生徒さんの頭の上に“はてなマーク”が付いてる感じがしました。でも生徒さんの様子を見ながら、自分の実感したものを伝えたら、ちゃんと伝わる感がありました。もちろん伝わらない方もいらっしゃいますが(笑)。この前、英司先生が「サービス業だったらいいけど、指導者だから」と言われたことがとても印象的でした。ちゃんと信念を持って伝えたいなあ、自分自身について気づいてもらえるような教室をしたいなあと思いました。

谷村:そこに背骨の強さがあり、活動がありますね。たとえ間違っていたことであっても、自分自身が、今はそう思うってことは、とりあえずやってみないと。言ってみないと。前へ進めないような、気がしますね。間違ってるかも知れないから言わないでおこう、やらないでおこう、ではあまり学びは少ないですね。

小湊:間違っても最近は許せるようになりました。

谷村:僕ももう、最近はこの歳になるとね、開き直ってるのか分からないけど、あの時の失敗は、しょうがなかった、最善だったんだと、思うようにしてます。ああするしかなかったんだって。(笑)今から思ったら幼稚な馬鹿な行為かも知れないけど。

小湊:そう考えると、人の間違いもあんまり責めなくなった。

谷村:そうですよね。

松嶌:サービス業っていう言葉から一番遠そうな鹿島先生、どうでしょう。

鹿島:(笑)私も、生徒さんから、もうちょっと生徒が喜ぶようなことをしたらいいのにって言われるんです。でもやっぱり自分がこれっと思ってるのは、もう揺るがないので、繕っても絶対に繕えないので、自分に正直に、これを伝えたいっていうのがものすごくあるんです。この調子で、英司先生の背中を追って行きたい!(笑)です。

松嶌:すばらしい。英司先生、最後にインナームーヴの読者に対して何かお願いします。

谷村:僕の、インナームーヴで書いているスタンスも、今言ったことと同じようなことを思っています。皆さんは、ヨガを通して、ある種の「からだ観」を持っておられると思います。ATにも異なったアプローチを通して、ある種の「からだ観」があります。それぞれは違っているけれども、私としてはその奥に共通した普遍的な、からだに対する捉え方や見方があるはずだと思っているんです。この普遍性には、さっき言った好みや正しい、間違いを超えて、100年後にも変わらない、「からだ観」っていうのがあるような気がします。そういうことを僕は皆さんに提示して、違和感を感じる人もいるかもしれないけど、ちょっと考え直してみて、分からなくてもこの人はどういう意味でこれを力説してるのかなあくらいは、ちょっと汲み取って頂ければと思っています。そしてそれが自分自身とどう違うのかというのを比較してもらって、その違いを楽しんでもらえることが、僕の切なる希望なんです。

松嶌:ヨガも数千年の歴史って偉そうなこと言っていますけれど、ハウツー的な運動療法、フィットネス体操として捉えられ方をしてしまっては、先生の仰る普遍的な“いのち”が、失われようとしている、そんな危機感も感じます。だから英司先生の追求されてることがヨガそのものにも深くつながっていると思っていますので、これからもご指導お願いしたいと思います。

谷村:こちらこそよろしくお願いします。

松嶌:ということで、じゃあみなさん方、遅くまでお付き合いありがとうございました。

谷村:どうも。ありがとうございました。

全員:ありがとうございました。

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