神戸3日間集中ワークショップレポート

ゴールデンウィークの京都集中ワークショップの好評にお答えして9月14日~16日にも神戸フルーツ・フ ラワー・パークでも集中ワークショップを行いました。ワークが進んでいくに伴って参加者の内面がみるみる変化が起き、そのことが表に現れてきているのを ハッキリと感じることが出来た今回のワークショップでした。以下はそのワークに参加してくださった方々の感想集です。


ワークショップでの新しい試み“内と外”


その前に私がこのワークショップで新しく試みたことをお話ししておきたいと思います。それが以下でみんながいっている“ゲーム”というものです。これを 私たちは“幼稚園のお遊び”と呼んでいます。ごく単純な子供でもできる単純な“遊び”なんですが、そのことを通して自分自身の意識の実際的な変化に気づいて欲しかったのです。

ひとつはボールを使った遊びで、6,7人のグループを作ってそのボールを誰かに投げます。受け取った人は誰から受け取ったか、投げた人は誰に投げたかを 覚えておきます。そしてみんなに行き渡るようにするだけのことです。そしてそのことになれてきたら、ボールの数を2個、3個と増やしていきました。

もうひとつは最初、3人組みになって真ん中の人が立ったまま倒れていきます。それを前に立っている人が受け止めてあげるのです。そして今度はその受け止 めた人がその人を押し戻して今度は後ろにいる人に受け止めてもらうのです。ですから真ん中にいる人は何もしないで挟んでいる二人の人にただただ自分自身を 委ねているだけでいいのです。このことに馴染んだら、もう少し難易度をつけるために7人のグループになってやりました。

たかがお遊びですが、それをやっている内に自分自身の意識の変化に注目していると、知らず知らずに起こってくる自然な意識の変化がおもしろいのです。だ んだんと意識が拡がって活き活きとしてくる人、反対に頑なになっていく人、混乱していく人、また、これらそれぞれの状態から抜け出ていく人と様々だったと 思います。そのことによって日頃無意識に行っている自分自身の意識の習慣に気づけることができます。

そして日頃のワークで自分自身の“内側”を見ることばかりやっていると自分自身の“外側”で起こっていることが自分の“内側”で起こっていることとが無 関係になってしまいがちです。つまり、われわれの存在は、実際には“内側”も“外側”もなくかただと心がそうであるように、ひとつとなって交流しているの が自然な在り方ではないかと思うのです。“心とからだ”、“内側と外側”というのはわれわれ人間が便宜上作った観念であって、実際的ではなく、その幻想がわれわれの自然な意識の交流を邪魔しているのではないかと思いました。

日本アレクサンダーテクニーク研究会・代表
谷村英司


自分を意識するときに自分自身の外側のことまで感じることが出来ました。口中を意識すると、止めどなくあくびが出てきました。口の中が拡がるのを助けていたのでしょうか?

16日の朝、外界がまぶしく感じられて、光を感じる部分の細胞が増えたような感じでした。単に視野が拡がった以上の出来事でした。チェアワークの時にこんなに背中をためるのかなあと感心してしまいました。最後のお話しに感激しました。

佐藤 陵子


ゲームによって、意識の拡がりと身体の厚みを感じおもしろいと思いました。また、身体をあずけるゲームでは、これが私の苦手な部分だということがハッキリと感じました。

周囲と氣を合わせることが大切でも苦手。融通の利かない自分自身に出会いました。

肩の力が抜けて、胸も拡がって全部ひとつになって、胸の扉がそれも左の扉が開いてなんだか涙が出てきました。それを背中と喉で止めるというか押さえ込む感じがあります。

橋詰 直子


初日の中白先生のプライベートレッスンでは、カラダがまるくなったような感じ、何故かは極力考えないようにした。2日目の谷村先生のレッスンでは、頭の 動きで身体全体が動くことを実感した。3日目の出口先生のレッスンでは、視野がたて横に拡がった。周囲が明るい。目の奥がスッキリしている。

今までの自分や自分がどうありたいのか考えたこともなかったのでなかなかそこまで自分自身を持っていくことが出来なかった。このワークショップでは、改 めて自分を見つめ直すという行為のきっかけを得たように思う。このテクニークの“感じ方”?は、まだまだ得られそうにないけれど・・・。楽しかったです。

安部 和美


やはり来て良かった!みんながいい人に見えてきました。グループレッスンでは、とても楽しくて、それがやはり好きでワクワク、嬉しい自分を発見した。

プライベートレッスンでは、バターみたいにとろけている自分でないような身体を奥深くのどこかで嫌がっている、締め付けている、あるいは強情な自分が見え てきた。やっと自分自身に対する気づきができてうれしかった。この次のワークでは、どんなことが感じられるのか楽しみだ。脚の軽やかさも忘れずにいたい が・・・。機会があったらまた是非さんかしたい。

井上 和代


交差点を行き交う人々を、その真ん中にいながら感じ取れるような不思議な感覚は、新しい気づきでした。目は開いているけど見ていない。耳は開いているけ ど聞いていない。意識がクローズの状態とは反対で、目から、耳から、鼻から、口から、そして皮膚から。五感のすべてがワナワナと私を刺激しながら留まるこ となく通り過ぎていくような、混雑しきった人の間を笑いながらすーっとぶつかることなく通り抜けられるような状態です。

自分のことだけ考えていると不可能だけれど、自分の周りのものすべてに対して身体も心もオープンにすれば何もかもごくごく自然に受け止め、対応できるんだと今は確信しています。はてさて“オープン”になるには・・・。

清水 邦子


今回もあまり自覚なく、よくわからないまま終わりました。ただ、普段よりも目がよく見えて、周りからは背が伸びたと言われました。ワーク後に身長と視力測定はしてみたいけど体重測定はヤバイなって感じです。それにしてもどうしていつもこう眠くなるのだろーか?

古屋 隆子


アレクサンダーのワークを受け始めて約2年が経ちます。初回の衝撃はすごかった。自分で何が起こっているのか理解できなかった。先生が手を使って私に何 かをしているんだと思い込んでいた。でも正直言って「自分が楽になるなら何でもいいやー」で、自分の中で自分がやっていることがどうしても判らなくてモヤモヤしていた。

今回は、「判らなかったら自分の身体に聞いてみよう!」ということが自分なりに判ったのです。“自分”は安藤薫(当たり前のことだけど・・・)自分の存 在の確認が出来ました。自分が自分と判ったとき、とても自分が大切で、とても可愛く、愛おしく思えた。今まで自分で自分をかなり傷つけていたんだなあ・・・。

安藤 薫


チェアワークで立ち上がるときに無意識に立つとつま先に力が入っていることがわかり、頭のバランスも悪く、それで腰に負担がかかるのだと気づきました。それが長年の身体の癖になっていたんだなあと思いました。

ゲームでは、とても単純なゲームだったので、安易に思い、それでも上手に行うことを最初から考えてしまう癖が自分の中にあることに気づきました。本当は 楽しくゲームをしたいと思っているのに、カッコつけたい自分が潜んでいることに気づき、自分のおごった性格に我ながら驚きました。でも、それに気づいたと きに首が楽になり、全身が楽になった感じが起こり、軽くなりました。

タッチのワークでは、「何でこんな事をやらなければいけないの!」という思いがよぎり、でもやらないといけないということで、相手にタッチしたら「冷たかった。」と言われました。一瞬の思いが相手に伝わり、そのことが自分の戸惑いになっていることに気づきました。「何で私が・・・」とか「何でこんな事 を・・・」という気持ちが自分自身の意識をクローズにさせているんだなあと気づきました。

竹本 映美


個人レッスンが終わった後、身体全体、特に顔がゆるんでヨダレが出そうな感じがした。グループレッスン中に両隣の人がくっついているような、すごく近くにいるような感じがして、目で見て確認するといつもの距離にいるので驚いた。その感覚もだんだんと薄れてきたので、感じることと目で見ることとは違うということがどういうことなのかを少し考えた。

安藤 美保

日本アレクサンダー・テクニーク研究会