パトリック・マクドナルドへのインタビューで私が思ったこと

日本アレクサンダーテクニーク研究会・代表
谷村英司


前々回のスイス・ルガノでのコングレスで第1回コングレスにおいてリカさんの先生である故パトリック・マクドナルドのインタビューが入ったDVDを手に入れました。そこにはいろいろと貴重なことが語られています。そこで東京スクールのトレーニーである船坂孝江さんに翻訳してもらいそれを卒業生やトレーニーに教材として配布しました。

I:インタビュアー / M:マクドナルド / 谷村:は私のコメントです。


I:あなたが指導した生徒たちの多くは、あなたの指導した通りのスタイル、強さや活動に達するレベルになっているでしょうか?あるいはそこに至るためには非常に長い時間がかかるのでしょうか?

M:たいへん長い時間がかかります。中にはそうでない人もいますが、一般的には時間がかかります。3年間学んだら修了書を渡しますが、それまでに生徒が自分の体にアップの流れを、ある程度起こせることを期待します。しかし、100%の正確さは期待していません。理解するのに5~6年はかかるでしょう。

I:長い道のりですね。

M:よい教師もいるし、そうでない教師もいます。どの分野でも同じです。

谷村:トレーニングコースを卒業した教師が引き続き学び続けているのを見てATというものを知らない人たちは「3年間1600時間も学び続けてきたのにまだ学んでいるの?」とあきれ顔で聞かれるそうです。しかしATというものは単なる知識の習得ではありません。きっとそういう人はその類のものだと思っておられるのでしょう。ATといういものはそれだけではないのです。技能の向上でもあるのです。この向上は終わりがないのです。寿司職人だって料理学校を卒業してすぐに本物の寿司を握ることが出来るでしょうか。音大を出てピアニストと言えるでしょうか? 芸大を出すぐに画家になれるでしょうか? むしろ卒業してからの努力が重要なのではないでしょうか? 自分自身を磨くことを怠ってはいけません。そうでなければ3年間学び続けたことが水の泡になってしまいかねません。

このワークに対して真摯であれば、正直であれば自分自身をもっと磨かなければならないと感じることは明らかです。そのことを怠って、偽ってはならないと思います。

AT教師にハンズオンを指導する若き日のパトリック・マクドナルド


I: 一般的に言って、アレクサンダー・テクニークのワークはF.M.アレクサンダー氏が望んだような形で継承されていると思いまか?

M:ある程度は続けられている部分もあると思いますが、多くの場合、F.M.アレクサンダーが望んだものと違う形になっているようです。アレクサンダー・テクニークが世界中に広まっていること自体はいいことだろうと思いますが・・・。

I:その横道に逸れてしまった一部の人たちの問題についてはどう思いますか?

谷村:そして自分自身を磨くことを怠った結果ここで彼が言うようにF.M.アレクサンダーが望んだものとは違う形になってくるように思うのです。事実、このことは日本だけでなく世界中で起こりつつあることなのです。残念なことにこういった傾向にもはや歯止めはきかないように思います。ですからせめて私たちの研究会だけはこうならないように期待したいものです。

ここで言うF.M.アレクサンダーが望んだことというのはマクドナルドが言っているように大変シンプルなことです。教師は生徒に手を通して 首を解放して、頭を前に上に、背中を長く広くということを示し、言葉を通してそのことを教えることだと思います。そしてこの二つのことがより正確に示すことが出来、さらに向上させるためにはその技能を磨きつつづけなければなりません。

この事を怠ってきた人は手でこのことを生徒に示すことが出来ないでいるのです。それが故に他のことをしてしまうのです。他のことというのはアレクサンダー原理以外のことです。そんなわけでATの良い教師かそうでない教師かの見分けはこのシンプルなことが手で正確に示せるかどうかです。あるいはそうできるように自分自身を日夜研鑽しているかどうかです。ただしシンプルなことではあるけれど難しいことではあります。そしてこのことを示さないで、あるいはそのことを示すことが出来ないが故に他のことをやり出したり、言い出したりする教師は、ちょっと?マークだということです。

M:私が思うところ、F.M.よりもその生徒たちの多くは何が起こっているのかを理論的に説明するのが上手でした。問題は、生徒たちは理論的に説明できても、それをF.M.がやっていたようにハンズオンで示せなかったことです。F.M.が手を触れるだけで何かが起こりました。新米の教師にそれができるようになるためには、何年もかかります。

谷村:このコメントから私が推測することはF.M.アレクサンダーから直接学んだ人達でさえそういうことが起こっていたんだなぁ・・・ということです。つまり彼が生徒に手の使い方を示してもそれを彼がやったように生徒はできなかったということだと思うのです。おそらく生徒としてはうまくレッスンを受けることが出来るようになっていたと思います。そして何が良くて何が悪いかも感じ取ることもできたでしょう。しかしこのことを手を通して生徒に示すことはできなかったのだと思います。そもそも彼がどうしているのかもわからなかったのかもしれません。しかし私自身トレーニングコースをやるようになって気づいたことなのですが、こればかりは教えようがないところがあるのです。それを生徒に示すということはできるのです。しかしそれで生徒がその通りにできるようになるかどうかは彼らが諦めず根気よく繰り返し、繰り返し自分自身を研鑽し続けることができるかどうかにかかっているのです。