2005 新春対談

今年も谷村英司代表と松嶌 徹会長が身体と心のよもやま話のなかで新年の活動の方向を話し合いました。テーマは身体感覚から東西文化論に…

谷村英司 / 松嶌 徹


ピンクの味わい


松嶌: 今年もよろしくお願いします。


谷村: 去年はいろいろとお世話になりました。特にコングレスではね。今年もよろしくお願いします。

松嶌: 正月って、自分の人生がちょっとリセットされるような気がしますね。錯覚だとしても、その錯覚を使うのも一手かな。新年明けたら「おめでとう」っていうの は、「生まれ変わり」というか「生まれ直し」を互いに祝う習慣じゃないでしょうか。お年玉も、鏡餅が象徴する「年神様の魂」をいただくという新生の儀式で すから。

谷村: そうね。そして表面的に新たにしようとするだけではなく、われわれの意識、つまり感覚、思考、感情といったすべてのものがリセットされるといいな。そのため の「ストップ」がアレクサンダーテクニーク(AT)でいう“抑制”と言ってもいいかもしれない。そうなればそれは錯覚ではない。だからお正月は1年のサイ クルでの“抑制”のいい機会なんです。

松嶌: 元日のじゃなくて、2日か3日にみるのを「初夢」っていうのも、間をとる意味なのかもしれませんね。今年を始めるのを急ぎなさんな、って。

僕は大晦日には、その年にいただいたお便りを焼いたり鐘を撞いたりして記憶の棚おろしみたいな時間をもつんですけれど、1年間続いた日常の流れをせき止めてみると、未消化のものがいっぱい溜まっていることに驚きますよ。

谷村: そうそう。それでその未消化なものが溜まっているところは、自分自身ではまったく無意識なところにあるんだよね。日常の生活に流されていると私の意識は決 まったところにしか留まらず、その他のところには意識が留まらないためにまったく無意識になっているんだと思う。例えて言うなら、私は赤と白にしか意識が ないんです。その間には無数のピンクがあるはずなのにそこにはぜんぜん気がつかない。そして実はその未消化なものはそのピンクのところに溜まってゆくんです。

よく白黒はっきりしろ!なんて言うけど、それはむしろ自分のピンクのところが未消化ではっきりしていないから、そこのところを旨く他人に説明できない未熟 さからきているんだと思うな。赤から白の間に多くのピンクがあるほどきれいなグラデーションができる。自然で無理のない移行が起こるんじゃないだろうか。

松嶌: そのグラデーションこそが日本的な大人の味わいですよね。「陰影礼賛」とまで言わなくても、東洋の深みってグラデーションに対する感性でしょう。原色的でパ ワフルな西洋文化って、物だけじゃなく立居振舞いまで直線的で、時には幼稚だと感じることがありますね。逆から見ればあいまいなんだけど。

ヨガアサナでも、僕たちほどグラデーションの大切さを強調しているグループは少ないだろうな。それはATとの出会いのおかげが大なわけで。

谷村: ATのレッスンでチェア・ワークというのがあるよね。椅子に座ったり立ったりするだけのものなんだけど、未熟な時は意識に立つ姿勢と座る姿勢にしか意識がな い。その間のプロセスにはまったく意識がなく、そこでいったい自分がどうしたのかがわからないんです。どの瞬間に自分が首を固くして、頭を落とし、背中を 縮めたのか教師に指摘されてもわからないわけ。意識にピンクが入っていないから。

松嶌: 最初は上か下か、どっちに行くのかで決めてから筋肉を使い分けようとするから、しっかり筋肉痛を起こすワークですよね。途中でニュートラルに浮いているような感覚なんて無いから。

谷村: それは素人目に見ても美しいとは思えない。ところが少し上達してくるとそのプロセスにも意識が拡がり始めピンクがわかるようになってくるんです。すると座る 途中で静止して立つ動きに変換したり,またその反対にやっぱり座ろうと変換することもできるようになる。つまり選択の自由が拡がるわけです。それが結果と して美しい、優雅な物腰に見えてくる。

松嶌: アサナでも、グルジェフのワークみたいに動きの途中の、どこでストップをかけても無理な力が入っていなくて自然呼吸で保持できるようなのが理想だな。

社会生活で、どぎつい赤とまぶしい白で成り立っているかのようにガンガン生きてきた人ほど、どこかを壊して教室に来ますね。まあ、逆にデリケートなピンク意識の人には、社会の刺激に耐えなきゃいけないストレスがあるけれど。

谷村: 繊細なだけではダメですね。自分のピンクを明確に理解しないと。そしてそれをはっきりと主張する必要があると思う。繊細かつ大胆にネ!

松嶌: そう、自分の意識をつかまえていないと足元が揺れるんです。それに気づいて慌てるからよけいに混乱して、いつのまにか自分自身を見失ってゆく。

それにしてもピンクって表現、いいなあ。ものごとに白黒つけるのが苦手な僕は、ずっと「灰色」の人生だなあって思っていたので、今年から「ピンク」でいくぞ!

2005年のしごと

松嶌: 冗談はさておき、今年は国際ヨガ協会では新しい入門テキストや副読本「健康視診法」の発行、教育本部のマンパワー強化など、いくつか計画中のプロジェクトがあるんですが、日本アレクサンダーテクニーク研究会の活動も、転機を迎えそうですね。

谷村: マンパワーって?

松嶌: 正しくはヒューマンパワーか。分科会のなかから研究スタッフに加わってもらったり、マタニティやフラワーエッセンスとか、新しい分科会の編成も考えたいと思ってます。アレクサンダーテクニークをヨガ教室のレッスンで活かすテーマも面白いと思うので、よろしくお願いします。

谷村: それでアレクサンダーテクニーク研究会の転機という話だけど、去年のコングレスがきっかけで、本誌でも紹介したようにAT界の重鎮であるリカ・コーエンさん を招いて、研究会の人たちが中心となって東京、京都、大分の3か所でワークショップと個人レッスンをする予定なんです。

松嶌: リカ先生はヘジイ先生流のデリケートなワークとは違って、とてもパワフルなタッチでしたね。ダイレクションを言うのに「ロケット・エンジン」という表現をされたのは新鮮な驚きでした。多分すぐに予約でいっぱいになると思うけれど、みんなに体験してもらいたいな。

谷村: そうね。確かに彼女のワークは元気が出てくるワークかもしれない。先ほど話した繊細かつ大胆であれという点から言えば、ヘズィーさんは繊細派でリカさんは大胆派と言えるかもしれないね。皆それぞれのいいところを学んで元気になりましょう!

それと、ゴールデンウィークには私と中白順子さんで5日間集中ワークショップというのをやる予定なんです。5日間続けて集中してワークするというのは初め てで私にとっても大きなチャレンジ。5日間も集中してやると内的筋肉の活動が以前より増して活性化され、意識が研ぎ澄まされ、からだに感じる変化もはっき りしてくるでしょう。これを機会にATに対する理解と興味を深くされることを期待しています。

松嶌: その前後で世界が変わるでしょうねえ。遊園地なんかで疲れ切って終わる連休と、プラスマイナスすごい差だな。

谷村: あと私が2、3年前に書いた本の出版を地湧社さんに検討してもらってます。今年中には何とか目処をつけたいと思っているんですが。

松嶌: 心の時代を告げたシャーリー・マクレーンの本を、打ち上げ花火で終わらせずにじっくりシリーズに育てた出版社。慎重なだけ、任せて安心。楽しみです。

繰り返しの新鮮

谷村: さて、これもピンクの話とつながってくると思うのですが、先日、“自然は反復を嫌う”という話をしてましたよね。

松嶌: ええ。自分を含めて人間は“習慣の動物”だっていうことを認めながら、反省的にですけど。機械的、無自覚な反復は感性の成長を止めるっていう。

谷村: 私も確かにそう思うのだけど、ATのチェアーワークも立ったり座ったりだけの動作で、それを10年も20年も続けていてよく飽きないなあ・・・、なんて言われることがよくあるんです。

松嶌: 外見的には全然ドラマティックじゃないですからね。

谷村: そこで私自身を振り返って自分のしていることをよく考えてみたんです。私は単に機械的な繰り返しに陥っているのだろうか?ってね。でも私の内面では一度も飽 きたという感じではないんです。いつもその時々に新しい発見があり、新たな気持ちでまた始めるその繰り返しで、気が付けば10数年経っていたという感じな んです。

外から見れば同じ事の繰り返しをやっているように見えているけれど、内面的にはいつも新たな感じ・・・。これはいったいどういうことなんだろう?と思ったわけです。

松嶌: 武道の鍛錬なんかにも通じるところでしょうね。

谷村: 武道に限らず、茶道、華道、書道、“道”と名のつくものは本来皆その性質を持っていたと思うんです。そしてその性質が日本文化の特徴のひとつにあげられるんじゃないかと・・・。

松嶌: 反復しながら会得するのが基本ですね。ヨガアサナも同じで、近道はない。それでこそ“静中の動、動中の静”がわかる。

谷村: でも「先生、同じアサナばかりやらないでもっと他のを教えてよ! 飽きちゃう」なんていう生徒がいて先生が困ると話をよく聞きますよ。

松嶌: このごろは情報が多くてねえ。飽きるというより、流れに取り残されるような不安。マスコミにあおられてるんですね。まあ、本人が望む結果だけど。

昔は西洋人から日本人は忍耐強くて勤勉だなんて言われたけれど、その言葉には「牛か馬のように」みたいな見下すような含みがあるんです。文明というのは常に新しいもので、先祖代々○○をやってます、なんていうのは遅れている「未開」だって。「太古」や「原初」を意味する英語のプリミティヴは、「旧式」で 「幼稚」っていう言葉でもあるんですね。より便利でより豊かな生活を求めて新しいものを追い駆けてきた西洋人からすると、京都や奈良では珍しくない10代 目の和菓子屋とか、50代目の神主だなんて理解不能。「カースト制度なのか?」なんて聞かれたりして。都会の日本人はもうすっかり同じ感覚になっていますね。

谷村: そ れで一見同じことの繰り返しのようで実はそうではなくいつも新たなことが起こっているというのはどういうことなんだろうって考えたわけです。よく考えてみ ると自然の営みもそういうものでしょう? 太陽は東から昇り、西に沈む。春夏秋冬。一見いつも同じことの繰り返しのようで実はまったく同じことはただの1日たりともない。

松嶌: 地球46億年間、一度もない。…たぶん。

谷村: そこで反対にこんなことを想像してみたんです。もし、この自然の営みがまったく寸文の違いもなくコンピューターのように同じことを繰り返したとしたらっ て・・・。それに対する私の応えは、私の全機能が退化すると言うか眠り込んで、しまいには死んでしまうんじゃないかと感じました。勿論やってみないとわか りませんが・・・。でもそう感じた時に現代病と呼ばれているものの原点には、これと同じ事が皆の心の中で起こっているのかもしれないと思ったんです。

松嶌: 確かに。人生に二度とないようなハッピーな日があったとして、その終わりに神様に「明日もまったく同じにしてやろうか?」って尋ねられたら、少しは迷っても、僕は断りますね。2、3日ならなんとか辛抱できるかもしれないけれど、1か月も同じ毎日だったら、眠り込まない限り、ぜったい気が狂う。

谷村: 私の子供の頃は、アイスクリームは夏にしか食べられなかったんです。

松嶌: たしか僕が小学生の頃、冬にアイスクリームを食べるのがオシャレだっていうキャンペーンが始まったなあ。日本の家らしくない暖炉の前で…っていうCM。

谷村: そしてご馳走は正月。弁当のご馳走は運動会か遠足だった。その時にさっきの神様の提案と同じ意味で、子供心に「こんなものがいつも食べられたらもっと幸せだろうな」って。ところがそれができるようになった今、ぜんぜんそうじゃない。あの美味しさや季節感、充足感がどこかへ消えてしまった。むしろあって当たり 前、なければ不足感しか残らなくなってしまった。空しいですね。

松嶌: まったくねえ。恵まれたことが可哀想な日本の子供たち。

大人にも同じで、毎年3万人以上が自殺し、10万以上の捜索願いが出ているというのも、とりあえず安定した日本で変わりばえのしない明日の自分、1年後、10年後の自分の姿が見えるように感じるところが原因だと思いますね。がんばって築き上げた恐怖や不安を感じなくていい豊かな生活は、夢も見ないで眠り込 んでいるだけの毎日だった! ブラックユーモアそのもの。それも幻想だけど。

谷村: そうでしょう?!われわれの頭脳がコンピューター化してしまっているんですよ。それでどうしてそうなってしまったかを考えてみると、一般的に西洋の人たちの そういった閉塞感を補うための方向性は、常に外へ外へと刺激を求めていくという開拓的というかアグレッシヴなものだったと思うんです。

松嶌: フロンティア中毒ね。しかも、前人未到の厳しい環境だとか激しい抵抗だなんて、相手が困難なほど燃えるんですよ。宣教師ダマシイというのか、敵は強くなく ちゃいけなくて、イラクに大量破壊兵器が無かったと知らされたときのアメリカ人の困惑、想像できるなあ。で、次のフロンティアを探す。

谷村: そして世界の果てまで征服しちゃった。そしてわれわれ日本人も強いものには巻かれろで感化され、同じ方向性を知らず知らずのうちに持つと同時に本来われわれが持っていた独自な閉塞感を補うための方向性は、劣ったもの、幼稚なものとして葬られてしまった。

松嶌: 内面に。

谷村: そう。それが先ほど言った“道”と名のつくものの中に顕著に見られるものだと思うんです。そして今もわれわれの意識の奥底にはそういう方向性は息づいている と私は思っているんです。にもかかわらず先ほどもいったように表面的にはアグレッシヴな西洋型の方向性を受け入れてしまっている。そこは無理があり、どうしてもついていけない葛藤が内面で生じているんだと思うんです。

そこでこの葛藤から自分自身を救うためには,われわれ本来持っていた日本型の方向性を明確にし、見出す必要があるような気がします。そしてそれは先ほどか ら言っている“一見同じことの繰り返しのようで実はそうではなくいつも新たなことが起こっているというのはどういうことなんだろう?”という問いかけの中 にあるような気がしているんです。

松嶌: 葛藤は身体にさまざまに現れるから、じっくり身体を観察してみようと。

谷村: そこでまずこの“同じことの繰り返し”というところにこだわってみたんです。西洋型だと同じことの繰り返さないで、別なことをやろう!という方向性なわけで す。ところがわれわれ日本人はこの“同じことの繰り返し”を受け入れたわけです。これはどういうことかと言うと、自分の“限定された世界”の中で生きてい こうと決心するということなんじゃないかと思うんです。

松嶌: 自分の実感として、感覚で捉えられる範囲ですね。

谷村: そう決心すると不思議なことに今までなかった,もっと正確に言うと意識のなかったところに意識が広がり、世界が広がり始めるわけです。これが先ほどから言っ ている、立った姿勢と座った姿勢という限定された動作の“間”(あいだ)に無限の動作の可能性を、赤と白しかなかった限定された世界の“間”(あいだ)に 無数のピンクを見出すことだと思うんです。

松嶌: ONかOFF、強いか弱いか、ポジティブでなければネガティヴっていう座標から解き放たれると、もうまるっきり違う世界になりますね。やっと自由な個性の出番だ。

イチローがパワー至上主義のメジャーで大記録を作った今年、「小学生の頃、自然にやっていたことに戻ってきた」なんて言ってるのが、象徴的ですね。よく精密機械だって表現されるけれど、ちょっと違う。考え方は精密だけど。

谷村: おそらく彼なんかもバットを振るという非常に限定された動作の間(あいだ)に、普通の人とは比べものにならない多くのピンクの世界を見出しているのでしょうね。

松嶌: そこに至るまでの練習量は半端じゃなくって、近くのバッティングセンターのオーナーが、鈴木親子のおかげで経営が成り立ったって言ってましたよ。

さらに技巧派の多い日本のプロ野球で磨きをかけてから、赤か白で決着をつけるようなアメリカの野球にピンクのグラデーションを持ち込んだんですね。クールなヒーローとして、その気になれば真っ赤(ホームラン)にもなれるぞというのも見せつけながら。

谷村: アメリカの人たちが彼のことをミステリアス(神秘的)だと言っているのを何度か聞いたことがあるけれど、これなんかもさっき言った西洋型の方向性ではない日 本型の方向性を持っているイチロー選手を理解し難いんだと思う。彼らの目にはミステリアスに映っているのだと思いました。

松嶌: やっぱりコレしかない、という感じで今年も僕らのダイレクションもはっきりしていますね。あとはただ毎日毎瞬、眠り込まないでいること。

谷村: そうそう。今年と言えば、昨年最後のインナームーヴの原稿を書き終えて、もう90号になっていたことに気付きました。今年の終わりには100号になるわけだ。100号記念パーティーでもやりますか!

松嶌: ぜひ!この記念は読者の皆さんにもなんらかの形で参加してもらえる形を考えたいですね。